愛情には一つの法則しかない。
それは愛する人を幸福にすることだ。
何一つ偶然のないこの世界の讃歌
祝福された命達の宴は
歌となり踊りとなり笑顔となる
言葉で救われ、言葉に騙され、好きなゆえに、やり場のない気持ちに
いらだつ日々。
時には許し合い、時には求め合う!
そんな事を繰り返しながら、相手の気持ちがわかっているようで
やはりわからない男と女。
今日も、そんな二人の為に記事を書いていきます。
人間は十人十色です。人それぞれに個性があり、良いところもあれば欠点もあるでしょう。
これは当たり前のことなのです。育った環境、これまでの人生で受けた影響、出会った人たち…。元からある本人の“性質”に、“人生経験”が重なって、“人格”というものができあがります。綺麗な環境で暮らすことを基本としている方もいれば、そうではない方もいるでしょう。綺麗な環境とは、家の中を綺麗にすることもそうですし、お金をきれいにすることも言えますね。
そのような環境を全て放棄してでも“自分のやりたいこと”に没頭される方もいるでしょう。これは大きく分けた例なのですが、個々によってそれらはさらに細かく分けられていくことでしょう。言うなれば、人間は自分以外の人間と…“一致する人間”なんて存在しないということなのです。そんな“全く異なる人”と、一緒に時間を過したり、生活を共にしたりすることをしたいと思う“恋愛”って、本当に“奇跡”であると言えますね。だって、自分と同じ感覚を持っている人間が存在しないのに一緒にいたいと思うことって…どこか脳が麻痺しているとしか考えられませんからね。
…まぁ、恋愛とは脳内に麻薬物質が発生することから起きるとされている“一種の幻覚”なので、その幻覚が冷めた時…“別れ”というものがくるのも…納得のいく話です。どんなに好きである気持ちが残っていたとしても…自分の持っている“最低限の基本”を守れない人とは一緒にいれないものでしょう。
私は本当に適当な性格をしています。料理も片づけもかなり適当です。ただ、それはあくまでも“怠け心”から起きているものではありません。気を付けようとの意識は持っているのです。それでも…どういう訳かいつでも適当な面がボロボロと出てしまうことがあります。人に指摘されるまでもなく、それに気づいた時は落ち込みます。人に指摘され…それを強く言われることで、何だか自分自身を否定されたような気持ちになり、悲しくなってしまいます。悲しい気持ちが溢れてくると…何も考えられなくなってしまい、相手に対しての返事すらできなくなって下を向いてしまう傾向があります。
私はそんな自分のことを客観的に見ることも出来るので、どうしてそうなってしまうのか…その理由も分かっています。しかし、その理由を話すことは“ただの言い訳”になってしまうことも…分かっているのです。自分は自分の生きてきた道・起こったこと、感じたことを全て把握しています。しかし、それを人に理解してもらうことは…はっきり言って不可能であるのです。
本当は、「分かってほしい」「理解してほしい」「受け入れて欲しい」…そして、「否定しないでほしい」との気持ちを常に持っているのです。しかし…それを分かってくれる人はそうそういません。ただ、人生で1度だけ…1人だけ、私の欠点を“笑ってくれる”人がいました。決して怒らずに笑ってくれる人がいました。その時、私は自分の欠点を“許してもらえた”気がして…言葉では言えないくらいに救われた気持ちになれました。これが…本当の“愛”なのかなぁと、今でも思い出すことがあります。
人にはそれぞれ欠点はあるものです。一時の幻覚で好きになった人の欠点を許せるようになった時、初めて“本当の愛”を手にすることができ、本当の愛を与えることができるのではないかなぁ…と思いますね。まぁ、この感じ方も人それぞれなので、全ての方への共感へ繋がるとも言い切れませんが、皆さんの心に、少しでも響いてくれれば…嬉しいですね。