私の友人は不倫をしていました。そのことを知ったのは、その不倫相手と別れてからのことなのですが、何とも最悪なことに、その不倫相手の奥さんと友人は友達だったと言うのです。そのこともあって、私に冷たい目で見られてしまうことを不安に思って相談できなかったと言っていました。
まぁ、別にその時にその話を聞いても、私は否定非難もしなければ、肯定も応援もしなかったですけどね。不倫相手の奥さんは、自分の友人と旦那が不倫していることを薄々感じていたそうです。友人と不倫相手の奥さんがお茶をした時、その奥さんに「私は結婚もして子供もいるから勝組だけど、○○ちゃんは独身で子供もいないから負け組だね」と言われたそうです。
私の友人は不倫相手の奥さんから言われたその言葉に相当なショックを受けたと話していました。「あぁ、私は好きな人と結婚もできないし、子供も産めないだろうから負け組なんだ…」と。この話を聞いて、私は何だかやるせない気持ちになってしまいましたよ。恋愛に勝ち負けを置いてこの二人を見てみると…“どっちも負け組だな…”と。不倫相手の奥さんは、どうして旦那の浮気相手であろうと疑っている相手にそんな言葉を言ったと思いますか?…それは、奥さんが不幸であるからなのです。
自分が不幸であることを認めたくない、負けたと思われたくない、勝者になりたい…。そんな気持ちから発してしまったセリフなのでしょうね。だって、幸せな人はそんな言い方はしませんから。幸せな人は、「自分は幸せだ」と言います。「自分は幸せだけど、あなたは不幸ね」と言うように、人と自分を比べて自分を勝者の位置に置くような言い方をする方は…惨めなくらいに不幸な人生であることが圧倒的に多いものです。
そんなセリフを言ってしまう不倫相手の奥さんも、そんなセリフを言われてしまう友人も、そんなセリフが入ってくる時点で、もう負け組なのでは?と感じてしまいました。状況を全て把握している訳でもないし、言い方が悪いかもしれませんが“真実を確認することは出来ない他人の過去”なので、どちらが悪いとも言えませんが…ただ、どちらも“不幸な時間”であったことは間違いないでしょう。奥さんはきっと不安だったのでしょうね。
恐くて仕方なくて…それでいて友人に自分の持っているものを壊されてしまうかもしれないとの状況に対する憎しみと、旦那に対する怒りと…どうしようもないくらいに悩み、涙を流してきたのでしょう。友人は友人で、「いつかわ別れて一緒になる」ですとか、「家庭はもう冷めていて、自分の場所が無い」…なんて都合の良い言葉に繋ぎとめられ…罪悪感や将来の不安とで相当苦しんでいたと思います。
“幸せ”とは…簡単なようで難しいものです。自分が幸せを感じると…そこへ関わって傷ついた人がいる場合は罪悪感が芽生えます。自分が不幸であると感じると…そこへ関わって傷つけた人に対して怒りや怨みが芽生えてきます。人間は、罪悪感や怒り・怨み・妬み・そねみ…このような良くない感情が一切ない幸せを感じることが出来た時…その時こそ初めて“幸せ”を感じることが出来るのかもしれませんね…。